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嫌いというほどではないけど、時々その行動・言動が「この野郎」となってしまうような馬が合わない人には、自分の内でのみ密かに呼ぶためのあだ名をつけてます。

心の中でひっそりと名付けて、何でそうなるんだよああもう! となった時には、そのあだ名でその人を心の中で呼んでみる。そうするととても和むというか、ストレスにならずに済むというか。なので付けるあだ名も、男性で睫毛の長い人だったら「まつげさん」だとか、髪の長い女性で三つ編みが特徴的だったら「エビテイルさん」だとか、眼鏡をかけててふんぞり返ってる人だったら「歴史の教科書さん」だとか、今時なきゃぴっとした女子大生だったら「女子力53万さん」だとか、どこか可愛げのあるものをという取り決めもして。

これって、悪口になるようなあだ名だと全く効果がないんだよね。自分に降りかかったストレスを緩和するためという、ある意味自分勝手な理由だからこそ、可愛らしいものを選んで付ける事に意味がある。心の中で呼んでみるあだ名が悪口になっちゃったら、それは単なる言葉にはしない陰口と同じで、呪いに変じてしまうからね。呪いを抱えるのはストレスを抱え続けるよりもずっとしんどい。それが自分を縛るだけのものだと余計に辛いし、何か馬鹿みたいだし。

なのでネーミングセンス無いなりに色々と名付けて、その人達から発せられるストレスを浴びては今日も受け流しています。