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クリスマスSS、25日過ぎても何か終わりそうにないー。今年もかー今年もだー。イベントを疎かにする奴はリア充になれないという至言がございます。でも次アレ書こーうっへへって妄想してるだけで充分に充実してるんだよなあ。そういうことじゃないってね。分かってるよ。

そういやリア充で思い出したんですが、今なお創作というものを介してリア充カップルを見守りつつ萌えたりしてますけど、以前は「好き」と「愛してる」が死亡または破局フラグだと考えていたフシがあったなあと。何て云うんでしょう、照れくささとはまた違う、「愛してる」って言葉に空寒さとか空恐ろしさとかを感じていたんですよね。云う必要性がないとか、それで気持を伝えられると思ってるとか安直すぎね? とか、「愛してる」って使い古した言葉でこの二人の関係性を一纏めで語るのも違うしとかっていう、捻くれた考えもあったんだけど、最近は何だか「愛してる」を連発してる気がする。思えばハチアティSSの中で、アーティさんから出てきたんだ、何の躊躇もなく。その時はすげえなさすが外国の人(イッシュだけど)と思うだけだったけど、聞けば聞くほど「愛してる」って言葉は単なる言葉であって、その裏にあるものを汲み取らないとダメなんだと悟るようになったりしたんですね。

「愛してる」って言葉は、心(本音)を大にして伝えるための拡声器でもあり、心(本音)を除去するフィルターでもあると。人によって、あるいはその時の心(本音)によっても違うもので、ラブやライクの意味だけじゃなく、むしろどの感情に重きを置いていてもそれ一辺倒ではないという、自分なりの一つの結論が出たんですね。愛ってやつは深いし難しいのだなあという小並感しか湧かなかったけどね……。

相手の真意を掴むこと・掴もうという気持を起こすこと、互いの考え方の違いをどう噛み合わせていくかを考えること……苦心しながら完成させたパズルであっても、それだけでは全貌が見えた内には入らないこと。

そんなこんなで捻くれた考え方は多少薄れたけど、やっぱり照れくさいよなー。あと10代の若者が口にしてたらきっと、何だよ愛してるってお前悟り過ぎwwwってなるだろうな。色々な経験を経た大人が云うから沁みる言葉の一つだと思います。そして二次元ゆえの素晴らしさ。要はこれな。

というわけで色んなカプに云わせたい衝動が沸々と湧いてるんだ。クリスマス間に合えー。